三菱局地戦闘機 J8M1 秋水1945(PIT ROAD \1,701) 2011/05/14               リストに戻る  

日本とドイツの技術交流によって二位本はアジア各地の天然資源である生ゴム、錫、タングステンなどの戦略物資をドイツに輸送する見返りとして、ドイツからははジェットエンジン、ロケットエンジン、原子爆弾などの新兵器の技術情報を日本に供与しまた。

1944年4月に伊号潜水艦で資料を輸送中途中補給のため寄ったシンガポールを出航語米潜水艦に撃沈されました。しかしシンガポールから空路で巌谷英一海軍技術中佐がシンガポールから零式輸送機に乗り換え、空路で日本へ向かっていたために「噴射機関」資料の完全な損失は避けられました。
陸海の軋轢が問題となっていましたが機体は海軍、エンジンは陸軍が担当、陸海軍共同して開発研究したことは画期的な事でした。

1944年末には軽滑空機、1945年1月には重滑空機で試験飛行に成功し、1945年(昭和20年)7月7日午後4時55分、滑走を開始した秋水は高度350mほどのところで突然エンジンが停止、エンジン再起動が二度試みられるも果たせず甲液の非常投棄を始めましたがなかなか進まず犬塚大尉は沢山の見学者が見守る滑走路を避け脇の埋め立て地への不時着を目指しましたが飛行場西端に不時着大破しました。犬塚大尉は頭蓋底骨折のため翌未明、殉職しました。

すぐに二号機の製造に入りましたがエンジンが試験中に爆発して失われて終戦まで動力飛行することはありませんでした。


全幅 9.5m 全長 5.95m 全高 2.7m 発動機 特呂二号 最高速度 900km/h 上昇力 10,000mまで約3分 航続距離 約5分30秒
武装 ホ155-II30mm機関砲2挺
全体に細い凸モールドですが少し深すぎると思います。パーツ数は非常に少なくスタンドが付属しています。
コクピットです。計器盤はデカールで表現されフィギアが付属しています。
完成写真
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