空技敞 D3Y2 明星 (VALOM \2,047 2010/12/10)                             リストに戻る

1943年頃よりジュラルミン素材の欠乏が深刻化したため、海軍ではモスキートにならった木製機を計画しまし、空技廠が九九式艦上爆撃機を基にした練習機の木製化に着手しました。
原型機をそのまま木製化することは不可能だったため、強度の確保と工作性の向上を主眼に大幅に改設計された。主翼と尾翼は楕円テーパー翼から直線テーパー翼に改められ、面積が縮小され、また胴体が約1.3m延長され、併せて風防も延伸された。この他細部の構造・形状も、木製化に合わせて単純化されてましたが、エンジンやプロペラは原型機を踏襲しました。
本機は実験機の意味合いが強く、松・ヒノキ材をボルト留めした骨格にバルサ積層材の表皮を尿素樹脂で貼り付け、旧来の羽布張りも多用された。モスキートに多用されたエポキシ樹脂は、当時本邦で工業化以前の段階だったため、接着剤の強度調整には、きな粉が用いられた。
治工具類は空技廠で準備し、組立は木造船の量産で実績のあった松下造船に委託され、同社社長で幸之助の義弟・井植歳男(戦後三洋電機を創業)は1943年10月、盾津飛行場そばに専用工場(松下航空機株式会社)を新設した。
1944年春より実機製作に着手したが、航空機に求められる絶対的な高品質と信頼性に対する家電メーカーの認識不足から計画は大幅に遅延し、試作1号機の初飛行は敗色濃厚な1945年1月にまでずれ込んだ。試作機は原型機と比べ重量が2割から3割増加し、最大速度は大差なかったものの上昇力等の飛行性能全般が大幅に劣化した。風防の隙間から浸入した気流に胴体が共振し、尺八に似た音が機内に充満してパイロットを悩ませた。このため、試作3号機からは各部を再設計し、重量軽減が図られた。終戦までに7機完成したが、試験に供されたのみで実用化は果たせず、内1機は設計値未満の軽G旋回で主翼が空中分解したものの、パイロットは辛うじて生還している。

全長:11.51 m 
全幅:13.92 m 全高:3.30 m 主翼面積:32.84 m? 重量:3,133 kg 全備重量:4,200 kg 
発動機:三菱 金星54型 空冷複星型14気筒 出力:1,200 hp 最大時速:426 km/h 航続力:1,302 km 最高上昇:9,000 m
武装 7.7mm機関銃×3 爆弾60kg×2 または 30kg×4 乗員:2名
完成写真
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