大芝水門(大芝橋)     撮影者:新具さん
 本川最上流の水門です。ここで太田川放水路以外の川の水量をコントロールしています。橋は片側1車線の計2車線、歩道は南側にしかありません。写真左が太田川下流、国道54号線方面で、右が東区牛田方面。 
 大芝水門上部は「大芝橋(おおしばはし)」となっています。奥の山は牛田山、牛田方面です。右手が川下。
 川下からの写真です。右岸(対岸)の土手はゴム舗装で格好のランニングコースになっています。正面の山はたけのこ、竹やぶで有名な「武田山」、左手奥が安佐南区祇園方面です。
 橋中央部から下流方向の写真です。広島の中心部方向が見え、夜景はとても綺麗です。
 上流方向です。右手の山は「白木山」中央は「阿武山」その左は「権現山」で見えている橋は祇園新道にかかる祇園新橋、上部は新交通「アストラムライン」の橋です。
 右岸南詰めには国土交通省太田川河川事務所があります。ここで祇園水門、大芝水門の監視と制御をしています。近くには太田川改修の功労者「岩沢忠恭氏」の銅像があります。
平成14年11月吉日 太田川改修50周年及び放水路間性5周年の記念植樹・・・となっていますが、周りは雑草だらけ、どれが記念植樹だか・・・・
太田川放水路の役割(写真↑全文転記)

 広島市の中心地は、太田川デルタ上に発達し。太田川は市内を6派川(はせん)に別れて流れ、広島湾に注いでいます。その水面積は、デルタの約20%にも達し、まさに水の都であり、広島市は河川と歳との係わりを強く持っています。この水の都も昔から、たびたび洪水による大被害を受けてきました。
 このため昭和7年から、放水路の工事が着工され、途中戦争による中断や用地、及び漁業補償等で難航しましたが、関係者の協力と努力が実を結び、昭和40年に通水が可能となり、昭和42年に完成しました。
 放水路は、長さ約9Km、川幅約300mで、洪水のときは大量の水を流します。太田川下流の計画高水流量は7500立米/Sですが、放水路にある祇園水門から4000立米/Sと旧太田川にある大芝水門から3500立米/Sの割合で流れるよう操作されます。即ち、洪水になると祇園水門のゲートを全開にし、大芝水門のゲートを半開に絞って、旧太田川の流量を制限して調節します。放水路ができてからは、昭和47年7月12日の6800立米/Sの記録的な大洪水でも、市街地は安全に守れるようになりました。
 又、平常時には、祇園水門から下流に1、大芝水門から下流に9の割合で流れるように操作されます。
                      国土交通省 太田川河川事務所

                撮影、取材:新具さん 撮影日2004/09/11